就学前における人権教育のキーワード 「自尊感情」
嘉島町役場
平成24年8月20

レジュメ

             就学前における人権教育のキーワード 「自尊感情」


1 人権教育の目標 〜人権教育指導法の在り方について第3次答申から〜
 「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること」ができ、様々な場面や状況下で具体的な態度や行動に現れるとともに、人権が尊重される社会づくりに向けた行動につながるようにする。

2 幼稚園教育要領及び保育所保育指針に見る就学前教育の目標
(1)幼稚園教育要領  (幼児期教育は,生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの)
 「健康」、「人間関係」、「環境」、「言葉」及び「表現」の領域において、他の人々と親しみ,支え合って生活するために,自立心を育て,人とかかわる力を養い、経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し,相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育てるとともに豊かな感性や表現する力を養い,創造性を豊かにする。
(2)保育所保育指針  (保育とは、子どもの現在と未来をつなげる営み)
・生命の保持及び情緒の安定を図ること。
・心身の健康の基礎を培うこと。
・人に対する愛情と信頼感、人権を大切にする心を育てるとともに、道徳性の芽生えを培うこと。
・豊かな心情や思考力の芽生えを培うこと。
・話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなど、言葉の豊かさを養うこと。
・豊かな感性や表現力を育み、創造性の芽生えを培うこと。

3 就学前教育において、人権感覚の基盤となる自尊感情を育みましょう。
(1)自尊感情を支える4つの柱
 ○「包み込まれ感覚」  身近な人が自分の気持ちを分かってくれているという気持ち
 ○「社交性感覚」     友だちとの心の通じ合いができているという気持ち
 ○「自己効力感」    やればできる、困難にぶつかっても、それを乗り越える力があるという気持ち
 ○「自己受容感覚」 今の自分が好きとか、自分の性格が好きという気持ち
(2)情動体験(心を揺り動かされる体験)を通して自尊感情を育みましょう。
 ○「一冊のノート」北鹿渡 文照(文部省道徳教育推進指導資料集第4集から)
 ○うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい(相田みつを名言集から)

4 自尊感情を育む取組の視点
○基本的生活習慣を身につけさせる取組
○自分でやろうとする意欲や活力を高める取組
○自分も相手も異なる考えや感情をもち、かけがえのない存在であることを実感させる取組
○して良いことと悪いことの判断力を培う取組
○相手の気持ちが分かる想像力と自分の気持ちを言葉で適切に表現していく能力を高める取組
○友達と協力し、助け合い、励まし合い、ともに高まり合っていこうとする態度を育てる取組
○動植物に接し、生命の尊さに気づき、いたわり、大切にしようとする気持ちを育てる取組
○地域の人々と交流し、人とかかわる楽しさや、人の役に立つ喜びを味わわせる取組

4 おわりに  
  誰かが見守ってくれている、誰かが寄り添ってくれているという肯定的な「まなざし」を実感できる幼稚園・保育園に。


講演内容


 こんにちは。中川でございます。
 入学後、いつまでも小学校のやり方になじめない子ども、先生の話を聞かなかったり、授業中に勝手に歩き回ったりするなどして、長期間にわたり授業が成立しない、という「小一プロブレム」現象が問題となっています。
 子どもたちの小学校へのスムーズな移行を図るために幼稚園・保育所・小学校の連携の強化が提唱され、幼稚園教育要領、保育所保育指針、小学校の学習指導要領でも、幼稚園・保育所・小学校の三者が連携することが明記されています。上益城では、以前から幼・保・小・中学校の連携が推し進められています。
 このような意味からも本日、幼稚園・保育園の先生、そして小学校の先生と一緒に就学前における人権教育の在り方を考えることは大変意義深いものと思います。
 いきなりですが、レジュメの空いているところにコップの絵を描いてみてください。
 お二人に描いてもらいました。
 ○○さんと同じようなコップ(水を飲むコップ)を描かれた方?
 △△さんと同じようなコップ(取ってのある湯飲みコップ)を描かれた方?
 皆さん、ちょっと考えて下さい。私は皆さんに「コップの絵を描きましょう」と言いました。「湯飲みコップを描きましょう」とも「水を飲むときのコップを描きましょう」とも「言いませんでした。でも、皆さんが描いたコップには2つの種類がありました。コップの絵という事実は同じでも私たちは、受け止め方が人によって違うことがあるということですね。違いを受け止め、認め、共に生きていく力を子どもたちに身につけさせるのが人権教育だと私は思っています。
 このコップの絵に共通するものがあります。何だと思いますか?(一生懸命見つめているが答なし)
 共通するのは、どれも上を向いていることです。皆さん上向きのコップを描かれました。下向きのコップの方はいらっしゃいますか?(返答なし) 皆さん上向きのコップです。食器棚にコップをしまうとき、下向きだったり上向きだったり家庭によって違うでしょうが、私たちが普段目にしているコップは、食卓やテーブルの上での上向きのコップです。「コップは上向き」の固定観念ができているのです。それで私たちは上向きのコップを描きます。コップが上を向いているということは、飲み物を注げば貯まります。
 私たちの周りにはたくさんの情報があります。しかし、聞こうとする気持ちがないといくら情報があっても素通りしてしまいます。聞こうとする気持ちがない人の心のコップは伏せられているのです。外から水を注いでも、「心のコップ」には、何も溜まっていきません。もったいないことですね。
 今、先生方は私を見つめ、一生懸命聴いていらっしゃいます。心のコップが上を向いているからと思います。「心のコップ」がいつも「上向き」になるようにしましょう。
 平成20年3月、人権教育指導法に関する調査研究会議がとりまとめました「人権教育指導法の在り方について」第3次答申では、人権教育の目標を「一人一人の児童生徒がその発達段階に応じ、人権の意義・内容や重要性について理解し、[自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること]ができるようになり、それが様々な場面や状況下での具体的な態度や行動に現れるとともに、人権が尊重される社会づくりに向けた行動につながるようにすること」とうたっています。
 この人権教育の目標を達成するためには、まず、人権や人権擁護に関する基本的な知識を確実に学び、その内容と意義についての知的理解を深化させることが必要と述べています。このことは、人権が持つ価値や重要性を直感的に感受し、それを共感的に受けとめるような感性や感覚、すなわち人権感覚を育成することが必要ということです。さらに、知的理解と人権感覚を基盤として、自分と他者との人権擁護を実践しようとする意識や意欲、態度を向上させること、そしてその意欲や態度を実際の行為に結びつける実践力や行動力を育成することが求められています。
 人権教育の目標を一言で言えば、互いの人権を尊重し合う「人権共存社会」を創ることだと思います。
 人権教育で身につける知識とは、自分や他の人の人権を尊重したり人権問題を解決する知識です。例えば、自由、責任、正義、個人の尊厳、権利、義務などについての知識、人権の歴史や現状についての知識、法律に関する知識、そして、人権を擁護し人権侵害を予防したり解決したりする実践的知識が含まれると思います。
 価値的・態度的側面の資質・能力は、人権感覚に深く関わるものだと思います。人権教育が目指す価値や態度には、人間の尊厳の尊重、自他の人権の尊重、多様性に対する肯定的評価、責任感、正義や自由の実現のために活動しようとする意欲などが含まれます。これらは「自尊感情の醸成」と言い換えても過言ではないと思います。
 人権教育が目指す技能には、コミュニケーション能力、合理的・分析的に思考する能力、偏見や差別を見きわめる力、その他違いを認め受け容れることができるための能力、協力的・建設的に問題解決に取り組む技能、責任を負う技能などがあり、こうした技能が人権感覚を鋭敏にします。
 ここで、幼稚園教育要領と保育所保育指針にみる就学前教育の目標をみてみます。
 幼稚園要領には、「幼児教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの」として、心身の健康に関する健康の領域、人とのかかわりに関する人間関係の領域、身近な環境とのかかわりに関する環境の領域、言葉の獲得に関する言葉の領域、そして感性と表現に関する表現の領域が示してあります。
 健康の領域では、「健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活をつくり出す力を養う。」とあります。内容の取扱いで、幼稚園児が先生や他の幼児との温かい触れ合いの中で、自己の存在感や充実感を味わうことなどを基盤として、しなやかな心と体の発達を促すことが示してあります。
 人間関係の領域では、「他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人とかかわる力を養う。」とあり、園児が自ら周囲に働き掛けることにより交流の楽しさや喜びを体験し、互いに必要な存在であることを認識するようになること、集団の生活の中で、幼児が自己を発揮し、先生や他の幼児に認められる体験を通して、自信をもって行動できるようにすることが示してあります。
 言葉の領域では、「経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う。」として、人の言葉や話などをよく聞き、自分の経験したことや考えたことを話し、伝え合う喜びを味わったり、先生や友達と心を通わせることが示してあります。
 表現の領域では、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。」として、 いろいろなものの美しさなどに対する豊かな感性を、身近な環境とかかわる中で美しいもの、優れたもの、心を動かす出来事などに出会わせ、そこから得た感動を他の幼児や先生と共有し、様々に表現することなどを通して感性や創造性を養うとしています。
 保育指針も同じようなことが示してあります。
 保育目標のアに、「保育所は、子どもが生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場である。このため、保育所の保育は、子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために、次の目標を目指して行わなければならない。」とあります。保育に当たっては、くつろいだ雰囲気の中で子どもの様々な欲求を満たし、生命の保持及び情緒の安定を図ること、健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培うこと、人に対する愛情と信頼感や人権を大切にする心を育てること、自主、自立及び協調の態度を養い道徳性の芽生えを培うこと、生命、自然及び社会事象についての興味や関心を育て、豊かな心情や思考力の芽生えを培うこと、生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなどの言葉の豊かさを養うこと、様々な体験を通して、豊かな感性や表現力を育み創造性の芽生えを培うことに留意するよう述べています。
 目標イには、「保育所は、入所する子どもの保護者に対し、その意向を受け止め、子どもと保護者の安定した関係に配慮し、保育所の特性や保育士等の専門性を生かして、その援助に当たらなければならない。」とあります。
 「生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期」である乳幼児の「現在」が、生涯にわたる生きる力の基礎を培うという未来を見据えての保育を目標とすることが重要だと述べています。
 このことは、保育とは、生涯発達し続けていく一人一人の子どもの可能性や、あと伸びする力を信じることであり、子どもの現在と未来をつなげる営みといえると思います。
 幼稚園教育要領も保育所保育指針も表現は違っていますが、めざすところは同じですよね。
 つまり、幼稚園・保育園の教育・保育がめざすところは、とりもなおさず人権教育がめざすところと同じだと思います。このことから人権教育は何かを特別に行うということではなく、日常の指導の中で人権感覚と実践力を身につけさせる教育や保育をしていくことだと思います。
 私は、人権感覚の基盤となるものは自尊感情だと思っています。これは就学前教育においても同じです。
 そこで、就学前教育において、人権感覚の基盤となる自尊感情を育むことについて考えてみたいと思います。
 自尊感情には、これを支える4つの感覚があると言われています。それは、包み込まれ感覚、社交性感覚、自己効力感、そして自己受容感覚です。
 包み込まれ感覚とは、「自分は周りの人から愛されている」「受け入れられている」ということを実感する感覚です。
 4月30日、次男に待望の赤ちゃんが生まれました。「孫は可愛い」と言いますが、それは可愛いものです。長男の子のときはそう感じなかったのですが、4ヶ月の今、もう人見知りをするのです。私が抱っこすると、しばらくは抱っこされています。5分もしないうちに火がついたように唇をふるわせて泣きだします。次男や嫁が抱きかかえると、それまで泣いていたのが嘘のように泣き止みます。そして、私の顔を見て微笑むのです。私を安心安全な人とは認知していないのです。親は、いつも身近にいて、乳児が泣いたり笑ったりなどの信号を発信すると、親は声を掛けたり、微笑んだり、抱っこしたり、おむつを替えたり、お乳をやったりします。それが乳児にとって、「自分は愛されている」、「受け入れられている」という感覚を実感させているのですね。そういう実感をさせてくれる人が、「自分の身を任せることのできる安心・安全な人」と認知しているのです。それが、人見知りの理由ですね。このように乳幼児の頃、包み込まれ感覚を常に実感している子は、自尊感情が育まれています。
 しかし、家庭の事情で、この包み込まれ感覚を十分体感していない園児がいるかもしれません。このような児には、幼稚園・保育園で、先生方が温かい眼差しを持って接し、包み込まれ感覚をいっぱい体感させて下さい。
 社交性感覚とは、周りの人と心の通じ合いがでいているという感覚です。つまりつながり感であり、共存・共生感覚です。
 自己効力感とは、やればできる、困難にぶつかってもそれを乗り越える力があるという気持ちです。自己有用感ですね。この感覚が育まれている子は、失敗を自分の能力のせいにはしません。努力不足、あるいは努力の方法がまちがっていたのではないかと反省し、再チャレンジします。「失敗は成功のもと」だとか「失敗は成功の母」という言葉はここらか来ていると思います。
 また、園児に成功体験を数多く味合わせてください。それが自信となり、チャレンジ精神が旺盛になります。
 そして、子どもたちの言動をよく見つめ、認め、褒めてください。6月、家庭教育講演会の打ち合わせに嘉島幼稚園に行きました。園長先生と話をしているとき、何人もの園児が「園長先生、トイレのスリッパを並べました。」と言いに来ていました。その度に、園長先生は「ありがとう。次の人が使いやすいように並べてくれたんだね。次の人は気持ちよく使えるよ。」と言って園児の頭をなで、褒めていらっしゃいました。園児は「うん」と言い、とても嬉しそうでした。自分がしたことを、誰かが認めてくれる、そして褒めてくれる、このことが子どもに自己有用感、自己存在感を味わわせます。これらの積み重ねが自尊感情の醸成につながるのです。
 自己受容感覚とは、今の自分が好きだとか自分の性格が好きだという気持ちのことです。自己肯定感です。前向きな思考、発言、行動をする人は、自己肯定感が高い人です。
 このような感覚を養うために、常日頃から心が揺り動かされる情動体験を味わわせて欲しいと思います。
 これらの体験が「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること」につながっていくと確信しています。
 お手元に配付しています「一冊のノートは、中学生向け道徳教育の資料です。しばらく読んでみて下さい。
 資料につけています「一冊のノート」、少し長い文ですが、斜め読みで結構ですので読んでください。


                   一冊のノート

                                                                            北鹿渡 文照
 「おにいちゃん、おばあちゃんのことだけど、このごろかなり物忘れが激しくなったと思わない。ぼくに、何度も同じことを聞くんだよ。」
 「うん、今までのおばあちゃんとは別人のように見えるよ。いつも自分の眼鏡や財布を探しているし、自分が思い違いをしているのに、自分のせいではないと我を張るようになった。おばあちゃんのことでは、お母さんかなりまいっているみたいだよ。」
 弟の隆とそんな会話を交わした翌朝の出来事であった。
 「お母さん、ぼくの数学の問題集、どこかで見なかった。」
 「おかしいな、一昨日この部屋で勉強したあと、確かにテレビの上に置いといたのになあ。」
 学校へ出かける時間が迫っていたので、ぼくはだんだんいらいらして、祖母に言った。
 「おばあちゃん、また、どこかへ片づけてしまったんじゃないの。」
 「私は何もしていませんよ。」
 そう答えながらも、祖母は部屋のあちこちを探していた。母も隆も問題集を探し始めた。
 しばらくして、隆は隣の部屋から誇らしげに問題集をもってきた。
 「あったよ、あったよ、押し入れの中の新聞入れに昨日の新聞と、一緒に入っていたよ。」
 「やっぱり、おばあちゃんのせいじゃないか。」
 「どうして、いつも私のせいにするの。」
 祖母は、責任が自分に押しつけられたので、さも、不満そうに答えた。
 「そうよ、なんでもおばあちゃんのせいにするのはよくないわ。」
 母が、ぼくをたしなめるように言った。ぼくは、むっとして声を荒げて言い返した。
 「何言っているんだよ。昨日、この部屋を掃除してたのはおばあちゃんじゃないか。新聞と一緒に問題集も押し入れに片づけたんだろう。もっと考えてくれよな。」
 「そうだよ。お兄ちゃんの言うとおりだよ。この前、ぼくの帽子がなくなったのも、おばあちゃんのせいだったじゃないか。」
 「しっかりしてよ、おばあちゃん。近ごろ、だいぶぼけてるよ。ぼくら迷惑してるんだ。今も隆が問題集を見つけなかったら、遅刻してしまうところじゃないか。」
 いつも被害にあっているぼくと隆は、いっせいに祖母を非難した。祖母は悲しそうな顔をして、ぼくと隆を玄関まで見送った。
 学校から帰ると、祖母は小さな机に向かって何かを書き込んでいた。ぼくには、そのときの祖母のさびしそうな姿が、なぜかいつまでも目に焼き付いて離れなかった。
 祖母は、若いころ夫を病気で亡くした。その後、女手一つで4人の息子を育て上げるかたわら、児童民生委員や婦人会の係を引き受けるなど地域の活動にも積極的に携わってきた。そんなしっかりものの祖母の物忘れが目立つようになったのは、65歳を過ぎたここ1・2年のことである。祖母は、自分は決して物忘れなどしていないと言い張り、家族との間で衝突が絶えなくなった。それでも若い頃の記憶だけはしっかりしており、思い出話を何度もぼくたちに聞かせてくれた。このときばかりは、自分が子どもに返ったように目を輝かせて話をした。両親が共稼ぎであったことから、ぼくたち兄弟は幼いころから祖母に身の回りの世話をしてもらっており、今でも何かと祖母に頼ることが多かった。
 ある日、部活動が終わって、ぼくは友だちと話しながら学校を出た。途中の薬局の前で、友だちの一人が突然指さした。
 「おい、見ろよ。あのおばあさん、ちょっとおかしいんじゃないか。」
 「ほんとうだ。なんだよ。あの変てこりんな格好は。」
 指さす方を見ると、それは季節はずれの服装にエプロンをかけ、古くて大きな買い物かごを持った祖母の姿であった。確かに友だちが言うとおり、その姿は何となくみすぼらしく異様であった。ぼくは、あわてて祖母から目を離すとあたりを見回した。道路の向かい側で、二人の主婦が笑いながら立ち話をしていた。ぼくには、二人が祖母のうわさ話をしているように見えた。
 祖母は、すれちがうとき、ほほえみながら何か話しかけた。しかし、ぼくは友だちに気づかれないように、知らん顔をして通り過ぎた。友だちと別れた後、ぼくは急いで家に帰り、祖母の帰りを待った。
 「ただいま。」
 祖母の声を聞くと同時に、ぼくは玄関へ飛び出した。祖母は、大きな買い物かごを腕にぶら下げて、汗を拭きながら入ってきた。
 「ああ、暑かった。さっき途中であった二人は・・・・。」
 「おばあちゃん。なんだよ、その変な格好は。何のためにふらふら外を出歩いているんだよ。」
 ぼくは、問い詰めるような厳しい口調で祖母の話をさえぎった。
 「何をそんなに怒っているの。買い物に行ってきたことぐらい見れば分かるでしょ。私が行かなかったら誰がするの。」
 「そんなこと言っているんじゃない。みんながおばあちゃんのことを笑っているよ。かっこ悪いじゃないか。」
 「そうして、みんなで私をバカにしなさい。いったいどこがおかしいって言うの。誰だって年をとればしわもできれば白髪頭になってしまうものよ。」
 祖母のことばは、怒りと悲しみで震えていた。
 「そうじゃないんだ。だいたいこんな古ぼけた買い物かごを持って歩かないでくれよ。」
 ぼくは腹立ちまぎれに祖母の手から買い物かごをひったくった。
 「どうしたの。大きな声を出して。おばあちゃん、ぼくが頼んだものちゃんと買ってきてくれた。」
 「はい、はい。買ってきましたよ。」
 隆は、買い物かごをぼくから受け取ると、さっそく中身を点検し始めた。
 「おばあちゃん、傷バンと軍手が入っていないよ。」
 「そんなの書いてあったかなあ。えーと、ちょっと待ってね。」
 祖母は、あちこちのポケットに手を突っ込みながら1枚の紙切れを探し出した。見ると、それは隆が明日からの宿泊合宿のために祖母に頼んだ買い物リストであった。買い忘れがないように、祖母の手で何度も鉛筆でチェックされていた。
 「やっぱり、傷バンも軍手も、書いてありませんよ。」
 「それとは別に、今朝、買っておいてくれるように頼んだだろう。」
 「そんなこと、私は聞いていませんよ。絶対聞いていません。」
 「あのね、おばあちゃん・・・・。」
 隆は、今にもかみつくような顔で祖母をにらんだ。
 「もうやめろよ。おばあちゃんは忘れてしまったんだから。」
 「なんだよ、おにいちゃんだって、さっきまで、おばあちゃんに大きな声を出していたくせに。」
 ぼくは不服そうな隆を誘って買い物に出かけた。道すがら、隆は何度も祖母の文句を言った。
 その晩、祖母が休んでから、ぼくは今日のできごとを父に話し、なんとかならないかと訴えた。父は、ぼくと隆に、先日、祖母を病院に連れて行ったときのことを話し出した。
 「お前たちが言うように、おばあちゃんの記憶は相当弱くなっている。しかし、お医者さんの話では、残念ながら現在の医学では治すことはできないんだそうだ。これからもっとひどくなっていくことも考えておかなければならないよ。おばあちゃんは、おばあちゃんなりに一生懸命やってくれているんだからみんなで温かく見守ってあげることが大切だと思うよ。今までのように、何でもおばあちゃんに任せっきりにしないで、自分でできることぐらいは自分でするようにしないといけないね。」
 「それはぼくたちもよく分かっているよ。だけど・・・。」
 これまでの祖母のことを考えると、ぼくはそれ以上何も言えなくなった。
 その後も、祖母はじっとしていることなく家の内外の掃除や片づけに動き回った。そして、ものがなくなる回数はますます頻繁になった。
 ある日、友だちからの電話を受けた祖母が、伝言を忘れたため、ぼくは友だちとの約束を破ってしまった。父に話したあと怒らないようにしていたぼくも、このときばかりは激しく祖母をののしった。

 まだ途中の方もいらっしゃると思いますが、3ページ中程から私が読みます。一緒に読んでみましょう。


 それから1週間あまりすぎたある日。捜しものをしていたぼくは引き出しの中の一冊の手あかに汚れたノートを見つけた。何だろうと開けてみると・・・
 それは、祖母が少しふるえた筆致で、日ごろ感じたことなどを日記風に書き綴ったものであった。見てはいけないと思いながら、つい引き込まれてしまった。最初のページは、物忘れが目立ち始めた2年程前の日付になっていた。そこには、自分でも記憶がどうにもならないもどかしさや、これから先どうなるのかという不安などが、切々と書き込まれていた。普段の活動的な姿からは想像できないものであった。しかし、そのような苦悩の中にも、家族と共に幸せな日々を過ごせることへの感謝の気持ちが行間にあふれていた。
 「おむつを取り替えていた孫が、今では立派な中学生になりました。孫が成長した分だけ、私は歳をとりました。記憶もだんだん弱くなってしまい、今朝も孫に叱られてしまいました。自分では気付いていないけれど、ほかにも迷惑をかけているのだろうか。自分では一生懸命やっているつもりなのに・・・・あと10年、いや、せめてあと5年、なんとか孫たちの面倒をみなければ。まだまだ老け込む訳にはいかないぞ。しっかりしろ。しっかりしろ。ばあさんや。」
 それから先は、ペ−ジを繰るごとに少しずつ字が乱れてきて、判読もできなくなってしまった。最後の空白のページに、ぽつんとにじんだインクのあとを見たとき、ぼくはもういたたまれなくなって、外に出た。
 庭の片隅でかがみ込んで草取りをしている祖母の姿が目に入った。夕焼けの光の中で、祖母の背中は幾分小さくなったように見えた。ぼくはだまって祖母と並んで草取りを始めた。
 「おばあちゃん、きれいになったね。」
 祖母は、にっこりとうなずいた。

                                             文部省道徳教育推進指導資料集第4集(平成6年3月)

 私はこの文を読むたびに心が揺り動かされ、声がつまってしまいます。
 子どもたちの情動体験もさることながら、まずは私たち大人が、情動体験を数多く持ち、感性を鋭敏にしていくことだと思います。
 あいだみつをさんの言葉に「うつくしいものをうつくしいと思えるあなたのこころがうつくしい」というのがあります。
 ここ、嘉島町役場会議室の窓から眺める益城平野の風景は美しいですね。飯田山をはじめ阿蘇の山々、九州山地の山々が、雨に洗われ、空気が澄んでくっきりと見えます。
 幼稚園要領や保育指針に示してありましたように、この美しい眺めを見て「うわー、きれい」という感動を子どもたちに味わわせて欲しいのです。そして、その感動を仲間や先生方と共有して欲しいのです。感動は、仲間と共有することによってさらに大きくなります。
 美しいものや心を揺り動かされる出来事にふれることで感性を育むことができます。
 嘉島町でも花火大会がありました。花火を見て誰もが感動します。音の大きさ、空一面に広がる花火の美しさ、あの感動を味わいたいから人は、花火大会を楽しみにしているのでしょう。
 それでは、自尊感情を育む取組の視点をいくつか述べます。既に、園では取り組んでいらっしゃることばかりですが、もう一度あたためる気持ちで園での取り組みを振り返ってください。
 第1は、「基本的生活習慣を身につけさせる」視点です。文科省では「早寝、早起き、朝ご飯」をキーワードに基本的生活の習慣化を提唱しています。規則正しい生活は、社会生活の基本ですね。25時間の体内時計を24時間にあわせるのは朝の陽ですよね。
 第2は、「自分でやろうとする意欲や活力を高める」視点です。幼児は、「自分でする」と口にします。下の孫娘が3歳の頃、姉たちが遊ぶ雲梯遊びに挑戦していました。腕力がまだ身についていなかったので、すぐに落ちます。それでも、私が下から支えようとすると、「自分でする。支えないで。」と言っていました。そして、落ちそうになると「助けて!」と叫んでいました。この「自分でする」を大事にしたいものです。
 益城町公民館講座の受け付けをした時のことです。3〜4歳くらいの幼児をつれたおじいさんが受付を終えて帰られる時のことです。幼児に「靴は自分で履ききるど。じいちゃんが見とるけん自分で履け。」と言って幼児が靴を履くのをじっと見ておられました。幼児は苦心しながら靴を履きましたが、右と左を違えて履きました。おじいさんは「あーあ、右と左を間違えて履いたね。ばってんよかたい。歩かるっど。」と帰って行かれました。
 そのしばらくあとで、同じくらいの年頃の幼児をつれた若いお母さんが来られました。帰り際に、「○○ちゃん、あんよ出して。」と言って靴を履かせて帰られました。
 どちらも「靴を履く」という行為ですが、どちらの子が生きる力を身につけたでしょうか。
 第3は、「自分も相手も異なる考えや感情をもち、かけがえのない存在であることを実感させる」視点です。幼児達は、集団で生活しています。遊び場の問題や遊び道具、遊び相手、遊び方などで衝突が絶えないと思います。そのたびに、先生方は、衝突した双方の言い分を聞いて仲直りをさせていらっしゃることでしょう。はじめから衝突をさせない配慮もありますが、衝突させない配慮より衝突したあとでの仲直りの仕方の指導が大切だと思います。
 第4は、「して良いことと悪いことの判断力を培う」視点です。善悪の判断基準になります。
 第5は、「相手の気持ちが分かる想像力と自分の気持ちを言葉で適切に表現していく能力を高める」視点です。自分の気持ちを伝え会うことは社会生活の基本です。
 第6は、「友達と協力し、助け合い、励まし合い、ともに高まり合っていこうとする態度を育てる」視点です。
 第7は、「動植物に接し、生命の尊さに気づき、いたわり、大切にしようとする気持ちを育てる」視点です。園では、ウサギや鶏などの小動物を飼ったり、草花を栽培してあると思います。生き物の世話を通して、命の尊さに気づかせ、いたわり、大切にさせてください。
 第8は、「地域の人々と交流し、人とかかわる楽しさや、人の役に立つ喜びを味わわせる」視点です。小学生やお年寄りはもちろんのこと、地域の人々との交流の機会を数多く作って欲しいと思います。
 子ども達の自尊感情を育む上で最も大切なことは、園児が「先生がいつも見守ってくれている、寄り添ってくれている」と実感することだと思います。誰かが見守ってくれている、寄り添ってくれているという肯定的なまなざしを実感できる幼稚園教育・保育園保育が展開されますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。


嘉島町広報 9月号

  “心のコップは常に上向きに”

   就学前教育部会研修会

 “幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの”を基本として、保育園・幼稚園の先生方は園児と接していらっしゃいますが、この日の研修はさらに具体的に指導方法を深めていこうというもの。
 講師は上益城教育事務所いじめ不登校アドバイザーの中川有紀先生。中川先生はご自分の経験と多くの具体的な事例との対応を交えながら、就学前の人権教育のキーワードは「自尊感情です」と前置きして、「誰かが見守ってくれている」「誰かが寄り添ってくれている」という肯定的な「まなざし」を実感できる幼稚園・保育園にしましょうと話しかけました。
 出席された先生方メモをとりながら或いは日頃の自分の行動が納得できたのか。うなずきながら聞き入っていました。